「得」する人生と「徳」のある人生
朝起きてぼんやりとしていたら、漢字一文字で「徳」のビジョンが見えてきました。
私は高次からのメッセージがやってくる時に、よく文字や漢字でキャッチすることが多いため、「おそらくこれも何かのメッセージだろうな」と思いたち。
「徳」からさらに枝葉を広げてイメージしたものや、ハートの中から湧いてくる感情を文章にしてみました。
ちなみに「徳」という漢字の意味を検索したものがこちら。
「道徳的、倫理的理想に向かって心を養い、理想を実現していく能力として身に得たもの。 また、その結果として言語・行動に現われ、他に影響、感化をおよぼす力。 社会的な観点から評価される人格」
とありますが、高次の存在たちはこれをそのまま伝えたいわけではないと思いますので(笑)
私の受信したイメージと今までの経験をまとめて、お伝えできる言葉で書きました。
今回のブログが、みなさんの人生を輝かせるヒントになれば幸いです。
徳とは何か?
さて、みなさんは「徳」という漢字から、どんなビジョンや感情、言葉が湧いてきますか?
私は歴史上の人物、「聖徳太子」と私の中学時代の校長先生「徳田先生」がパッと出てきました。※プライバシー保護のため苗字の一部を変えてます。
聖徳太子は言わずもがな、旧一万札の顔にもなってましたし、誰もが名前を知っている偉人ですよね。
冠位十二階や遣隋使派遣など国家体制を整えて、天皇による中央集権を勧めた人物として有名です。
徳のある歴史上の人物は誰か?一人答えて下さい。というアンケート調査があったら、ほぼ間違いなくトップ10に入ると思います。
一方、私が中学時代にお世話になった徳田先生は、名前に「徳」があるからイメージしたというものでもなく。
中学を卒業して30年以上経った今でも、先生の「人となり」を鮮明に思い出せるほど、他の先生とは大きく違う存在感(オーラ)を放っている方でした。
ちょっと変わった先生の行動
30年前の鹿児島県の中学校は校内暴力最後の時代と言っていいほど、俗にいう不良グループが残っている中学校と、残っていない中学校に大きく分かれてたんですね。割合としては、残っていない中学校の方が多かったと思います。
私がいた中学校は不良グループが残っている数少ない学校で、卒業式が終わると同時に警察官が体育館に入って来て、理由を聞かされることなく保護者と一緒に帰宅させられたのを覚えてます。
今となっては思い出話ですが、1日1枚は窓ガラスが割れるので、ガラス屋の軽トラがしょっちゅう来てましたし。
隣のクラスがやけに静かだなと思ったら、生徒全員が教室を抜け出して公園で遊んでいたりとか。他にも当時ならではのエピソードがいっぱいあります。
そんな感じで、やんちゃな生徒が多かったものですから、当時赴任してきた先生たちも、若くて体力があり熱血感にあふれた先生が多かったんですね。
かなり荒れていた学校でしたが、私が3年に進級した時に徳田先生が校長として赴任してきました。
当時40歳後半くらいの徳田先生は、他の先生たちとはちょっと違った雰囲気を放ってました。
言葉数が少なく、静かな口調で朝礼のあいさつをし、あとは穏やかに微笑んでいる。
生徒に緊張感も圧迫感も与えなければ、指図することも怒ることもしない。
でもなぜか、つい目で追ってしまう存在。
そんな一風変わった先生を、私はいつも「日向ぼっこを優雅に楽しんでる猫みたいだな」と、思って見てました。
徳田先生がやってきて、半年過ぎた頃にトイレ工事が始まりました。
1日1枚窓ガラスが割れるほど荒れていた中学でしたので、トイレもドアや壁に穴が開いていたり落書きもありましたし、特に男子トイレは破損も酷かったです。
工事が終わり学校中のトイレがピカピカになった後は、校舎内にクラシック音楽が流れるようになったそうです。「そうです」というのは、私が卒業した後に「校長先生の提案で、中学校にクラシック音楽が流れてるみたいよ」と母から聞いたからなんですね。
実際のところ、トイレ工事と音楽の効果かどうかは分かりませんし、時代の流れがそうさせたのかもしれませんが。私が卒業して間もなく、校内の争いごとは極端に減ったそうです。
「生徒が荒れる原因は、生徒側だけにあるのでしょうか。そうさせている環境にも問題があると思います。一番汚いイメージをもつトイレを綺麗にすることと、心地の良い音楽を流すことで、生徒に与える環境は大きく変わります」という徳田先生の行動理念は、卒業してからかなり後になって聞きました。
今では当たり前に受け入れられる先生の行動理念も、30年以上前はおそらく理解されなかったり、反対されることも多かったと思います。
「得」と「徳」の違いは何か
「徳」とはいったい何なのか、上手く説明が出来ませんが。似た漢字の「得」と比べることで「徳」のもつ意味合いが明確になります。
いつもお伝えしている通り、私のイメージなので、みなさんはご自身が感じたものを大切にして下さいね。
「得」とは、利益や有利なものを得た時に使いますよね。
たとえば「臨時収入が入ってきた」「スーパーで欲しい商品が半額だった」「こちらの条件に相手が応じてくれた」というもの。そこには目に見えるものがほとんどですので、明確さがありますし、周りの人にも得したことを伝えやすいという特徴があります。
一方で「徳」とは、見えないし説明しにくいけれど。
その人や周りの人たちの心が豊かになる、幸せを感じる、良かった、気づかされた、おかげさまで助かった、助けられたと感じるもの、見えないプラスの何かを与えるものが「徳」のもつ意味合いだと思うのです。
「得」する人生と「徳」のある人生
私たちは大きな決断を迫られた時。
たとえば、転職や仕事の方針の変更、結婚や離婚、今の人間関係を今度どう見直すか。
というような岐路に立った時に、この目に見えて分かりやすい「得」を追う心と、自分の心にある不明瞭だけど確かにある「徳」を大切にしたいという思いで葛藤することがあります。
得する人生か、徳のある人生を歩むべきか。
もちろんどちらを選んでも正解、不正解はありませんし、得が悪くて、徳が良いという単純なものでもありません。得して徳のある人生を歩んでもいいわけです。
今は物質重視の社会を経て、それぞれの意見や心を大切にして生きられる時代に入ってます。
個が尊重し合える時代に、じゃあ自分が周りに与えられる「徳」とはいったい何かを、深い領域で感じて触れておいたり。
これだと感じたものをちょっとずつ周りの人に与えてみるのも、長い人生においては素晴らしい経験になるかもしれません。
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