見返りを期待しない愛

真面目で責任感が強い人や、感受性が豊かで直感的なタイプの人ほど、

人の気持ちに敏感で、与えることは美徳だと思ってる傾向があります。

でもそれが過剰になると自己犠牲となり、そういうつもりじゃないのに、自分も同じくらい丁寧に扱われたい、同じように返してほしい、という欲求が出てきます。

それは決して悪いことではなく、むしろ「深く愛したい」「大切にされたい」という、心の奥にある純粋な願いの表れとも言えます。

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愛されたいという感情は自然なもの

宇宙の視点からすると「見返りを期待しない愛」「無条件の愛」それこそが真実の愛だとされてます。

それはとても美しい言葉ではありますが、でも時に、少し切なく感じる言葉かもしれません。

私たちは誰かを大切に思ったとき、その想いに応えてほしいと願うものです。

優しくしたら優しさを返してほしい、与えたら受け取ってもらいたい。

そんな気持ちはとても自然なもの。

だからこそ、愛に見返りを求めてしまうことは決して悪いわけではありません。

花を育てるのに意味はあるのか?

でも、もしその「返ってこないこと」が苦しみや怒りに変わってしまうのだとしたら、それは愛ではなく「取引」になってしまっているのかもしれません。

こんな話があります。

あるところに、小さな村で暮らす老いた庭師がいました。

彼は毎朝、近くの道端に花を植えていました。

通る人々が気づくこともないような、小さな花ばかり。

それでも彼は、雨の日も風の日も、せっせと花を植え、水をやり、草を抜き、大切に育て続けていたのです。

ある日、旅人が庭師に尋ねました。

「あなたはどうしてそんなに丁寧に花を育てるんですか?誰もあなたの名前も知らず、感謝もされないのに…意味はあるんですか?」

庭師は静かに微笑んで答えました。

「私は、ただこの花が咲いてくれることがうれしいのです。誰かが見てくれても見てくれなくてもいい。ただ、この道を通る人の心が、知らず知らず少しでもやわらかくなるのなら、それで充分です。」

この庭師のような心こそ、「見返りを期待しない愛」の姿なのだといえます。

あなたの愛は必ずめぐっていく

愛とは、与えることで自分の中にあたたかさが広がるもの。

誰かの笑顔を願って差し出す行為そのものが、もうすでに「満たされている状態」なんです。

そして不思議なことに、そういう愛はまわりまわって、思いがけない形でちゃんと自分にも返ってきます。

時間差で、場所を変えて、別の人から…でも、それを「期待せずに」待てる人のところへだけ、やってくるんですね。

与えた時に愛は完成する

見返りを求めるとき、私たちの心は外に答えを求めています。

でも見返りを求めない愛は、自分の中にすでに答えがあることを思い出させてくれます。

あなたの中にも、そんな愛がきっともう息づいていますよ。

愛は、見返りではなく「与えたとき」にすでに完成している。

そんな真実を、あなたの優しさが教えてくれています。

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